【明治の50冊】(11)北村透谷「楚囚之詩」 近代的自我と孤独の発見(1/4ページ) - 産経ニュース

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「楚囚之詩」は、昭和40年代前半、全共闘運動が挫折したころに脚光を浴びた。 政治運動に挫折してもなお独自の闘いを続けた透谷への共感が 世界大百科事典 第2版 - 《楚囚之詩》の用語解説 - これらの民権運動の経験,離脱後の懊悩と漂泊,そして激しい恋愛とキリスト教信仰における心の葛藤は,透谷の詩や文学の革命的ロマンティシズムを,著しく内面化した。89年に,日本最初の長編叙事詩《楚囚之詩(そしゆうのし)》を,91年 「楚囚之詩・第十六」のつづき、きょうは、詩全体をもしめくくる最後の8行を読みます。門を出(いづ)れば、多くの朋友、 集(つど)ひ、余を迎へ来れり、中にも余が最愛の花嫁は、 走り来りて余の手を握りたり、彼れが眼にも余が眼にも同じ涙―― 又た多数の朋友は喜んで 楚囚之詩と雑巾先生 実物を見たことのある人はごく稀という超稀覯本 世に伝わることの少ない本を稀覯本などと呼んだりするのですが、ここ四年ほどの間に京都で行われた大市(全国規模の古書業者間の入札による古書の売買)で文学関係の、噂だけは有名で、実物を見たことのある人はごく デジタル大辞泉 - 楚囚之詩の用語解説 - 北村透谷の長編叙事詩。 明治22年()に自費出版。 大日本帝国憲法の発布に伴い、自由民権運動の活動家らが大赦で出獄したことを受け、国事犯の獄中の苦しみをうたったもの。

黃詩扶、妖揚-吹夢到西洲 『情一念 墨盡非空 百代飛白驟 劃地為囚』【動態歌詞lyrics】


牢番は疲れて快《よ》く眠り、  腰なる秋水のいと重し、  意中の人は知らず余の醒《さめ》たるを……  眠の極楽……尚ほ彼はいと快《こころよ》し  嗚呼二枚の毛氈《もうせん》の寝床《とこ》にも  此の神女の眠りはいと安し!  余は幾度も軽るく足を踏み、  愛人の眠りを攪《さま》さんとせし、  左《さ》れど眠の中に憂《うさ》のなきものを、  覚《さま》させて、其《そ》を再び招かせじ、  眼を鉄窓の方に回《か》へし  余は来《く》るともなく窓下に来れり  逃路を得んが為ならず  唯《た》だ足に任せて来りしなり   もれ入る月のひかり   ても其姿の懐かしき!. 引用をストックしました ストック一覧を見る 閉じる. 読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる. 余は遂に一詩を作り上げました。大胆にも是《こ》れを書肆《しよし》の手に渡して知己及び文学に志ある江湖《こうこ》の諸兄に頒《わか》たんとまでは決心しましたが、実の処躊躇《ちゆうちよ》しました。余は実に多年斯《かく》の如き者を作らんことに心を寄せて居ました。が然し、如何《いか》にも非常の改革、至大艱難《かんなん》の事業なれば今日までは黙過して居たのです。  或時は翻訳して見たり、又た或時は自作して見たり、いろいろに試みますが、底事[#「底事」に〔ママ〕と傍書]此の篇位の者です。然るに近頃文学社界に新体詩とか変体詩とかの議論が囂《かまびす》しく起りまして、勇気ある文学家は手に唾《つばき》して此大革命をやつてのけんと奮発され数多の小詩歌が各種の紙上に出現するに至りました。是れが余を激励したのです。是れが余をして文学世界に歩み近よらしめた者です。  余は此「楚囚[*青空文庫版 注1 ]之詩」が江湖に容《い》れられる事を要しませぬ、然し、余は確かに信ず、吾等の同志が諸共《もろとも》に協力して素志を貫く心になれば遂には狭隘《きようあい》なる古来の詩歌を進歩せしめて、今日行はるゝ小説の如くに且つ最も優美なる霊妙なる者となすに難《かた》からずと。  幸にして余は尚《な》ほ年少の身なれば、好《よ》し此「楚囚之詩」が諸君の嗤笑《ししよう》を買ひ、諸君の心頭をを傷《きずつ》くる事あらんとも、尚ほ余は他日是れが罪を償ひ得る事ある可しと思ひます。  元《も》とより是は吾国語の所謂《いはゆる》歌でも詩でもありませぬ、寧《むし》ろ小説に似て居るのです。左《さ》れど、是れでも詩です、余は此様にして余の詩を作り始めませう。又た此篇の楚囚は今日の時代に意を寓したものではありませぬから獄舎の模様なども必らず違つて居ます。唯《た》だ獄中にありての感情、境遇などは聊《いささ》か心を用ひた処です。   明治廿二年四月六日    透谷橋外《きようがい》の僑寓《きようぐう》に於いて[*青空文庫版 注2 ]                    北村門太郎《もんたろう》謹識. きのうTで購った(八百円也)、『定本 庄司淺水著作集 書誌篇 第二巻』( 出版ニュース 社)を読んでいたら、北村透谷『楚囚之詩』のことが出て来た。 この稀覯書にまつわるエピソードは、本好きの間ではわりと有名であろう。 透谷の『楚囚之詩』(明治二十二年刊)は、かつてその存在が一部しか知られず、児玉花外の『 社会主義 詩集』とともに、明治の詩歌書のうち、第一の稀本といわれた。その後、数部発見されたが、いぜん、 稀覯本 たるにかわりはなく、市価七十万円を呼んでいる。(「明治本あれこれ」『 紙魚 のたわごと』,p. ほかのところでもちょっとふれたが、北村透谷の処女詩集『楚囚之詩』(明治二十二年刊)は、発売当時少しも売れず、『万物画譜』という石版刷の 和装本 の入紙に使われ、残存するものきわめて少なく、戦前はその存在が一部しか知られず、明治の詩歌書のうち、第一の稀本といわれたほどだ。その後、数部発見されたが、 稀覯本 たるに変りはなく、昨今、市価は七十万円(昭和五十四年現在は二百万円)を呼んでいる。 この『楚囚之詩』を 戦後まもなく 、早稲田の一学生が、 神田の古本屋の店頭で 、三十円均一の山の中から掘り出したことはすでに述べた。紙表紙横とじの片々たる小冊子、形態だけからすれば、当時、三十円均一の山の中にもぐり込んでいても、すこしもおかしくないしろものだった。 (「書物蒐集のわき道」『蒐書の心』,p. 八木福次郎 『書国彷徨』( 日本古書通信社 )が、このエピソードについて書いているそうで、その本によれば『楚囚之詩』は、昭和三十六年の業者の交換市にも出たのだという。詳細は、 ここ に書いてあるが、リンク先には、庄司淺水が述べていたようなことは書いていない。また、出久根著とも若干の相違があって、石川巌は発見者である大学生に「五円で譲れ」と迫ったことになっている。. あれ? このエピソードは、「戦後」の話ではなくて、たしか「戦前」の話であったはずだ……。そう思いながら、例えばごく最近に読んだ 出久根達郎 『本のお口よごしですが』( 講談社 文庫)を見てみた。. 世界の太陽と獄舎《ひとや》の太陽とは物異《かわ》れり  此中には日と夜との差別の薄かりき、 何《な》ぜ……余は昼眠《ね》る事を慣《なれ》として  夜の静《しずか》なる時を覚め居《い》たりき、 ひと夜《よ》。余は暫時《しばし》の坐睡《ざすい》を貪《むさぼ》りて  起き上り、厭《いと》はしき眼を強ひて開き 見廻せば暗さは常の如く暗けれど、  なほさし入るおぼろの光……是れは月! 月と認《み》れば余が胸に絶えぬ思ひの種《たね》、  借《かり》に問ふ、今日《きよう》の月は昨日《きのう》の月なりや?   然り! 踏めども消せども消えぬ明光《ひかり》の月、 嗚呼少《わか》かりし時、曽《か》つて富嶽《ふがく》に攀上《よじのぼ》り、  近かく、其頂上《いただき》に相見たる美くしの月 美の女王! 曽つて又た隅田《すみだ》に舸《ふね》を投げ、 花の懐《ふところ》にも汝《なんじ》とは契《ちぎり》をこめたりき。   同じ月ならん! 左《さ》れど余には見えず、   同じ光ならん! 左れど余には来らず、    呼べど招けど、もう    汝は吾が友ならず。. 曽《か》つて誤つて法を破り   政治の罪人《つみびと》として捕はれたり、 余と生死を誓ひし壮士等の   数多《あまた》あるうちに余は其首領なり、   中《なか》に、余が最愛の   まだ蕾《つぼみ》の花なる少女も、   国の為とて諸共《もろとも》に   この花婿も花嫁も。. 想ひは奔《はし》る、往《ゆ》きし昔は日々に新なり 彼《かの》山、彼水、彼庭、彼花に余が心は残れり、 彼の花! 余と余が母と余が花嫁と もろともに植ゑにし花にも別れてけり、 思へば、余は暇《いとま》を告ぐる隙《ひま》もなかりしなり。 誰れに気兼《きがね》するにもあらねど、ひそひそ  余は獄窓《ごくそう》の元に身を寄せてぞ 何にもあれ世界の音信《おとずれ》のあれかしと  待つに甲斐あり! 是は何物ぞ? 送り来れるゆかしき菊の香《かおり》!  余は思はずも鼻を聳《そび》えたり、 こは我家《わがや》の庭の菊の我を忘れで、  遠く西の国まで余を見舞ふなり、    あゝ我を思ふ友!    恨むらくはこの香《かおり》    我手には触れぬなり。. 余には穢《きた》なき衣類のみなれば、 是を脱ぎ、蝙蝠《こうもり》に投げ与ふれば、 彼は喜びて衣類と共に床《ゆか》に落《おち》たり、 余ははひ寄りて是を抑《おさ》ゆれば、 蝙蝠は泣けり、サモ悲しき声にて、 何《な》ぜなれば、彼はなほ自由を持つ身なれば、 恐るゝな! 捕ふる人は自由を失ひたれ、 卿《おんみ》を捕ふるに……野心は絶えて無ければ。 嗚呼! 是《こ》は一の蝙蝠! 余が花嫁は斯《かか》る悪《に》くき顔にては! 左《さ》れど余は彼を逃げ去らしめず、 何《な》ぜ……此生物は余が友となり得れば、 好し……暫時《しばし》獄中に留め置かんに、 左れど如何にせん? 彼を留め置くには? 吾に力なきか、此一獣を留置くにさへ? 傷《いた》ましや! なほ自由あり、此獣《けもの》には。    余は彼を放ちやれり、    自由の獣……彼は喜んで、    疾《と》く獄窓を逃げ出たり。 次ぎの画《え》は甚しき失策でありました、是れでも著名なる画家と熱心なる彫刻師との手に成りたる者です。野辺の夕景色としか見えませぬが、獄舎の中と見て下さらねば困ります。. 透谷の『楚囚之詩』(明治二十二年刊)は、かつてその存在が一部しか知られず、児玉花外の『 社会主義 詩集』とともに、明治の詩歌書のうち、第一の稀本といわれた。その後、数部発見されたが、いぜん、 稀覯本 たるにかわりはなく、市価七十万円を呼んでいる。(「明治本あれこれ」『 紙魚 のたわごと』,p. 引用するにはまずログインしてください ログイン 閉じる. 過ぎし日に起こった蒐書にまつわる愉快な奇蹟の話が、いろいろ伝えられている。 時価 二十五ポンドはする、サマーセット・ モーム の『人間の絆』の初版本(一九一五年刊)を、地方の小さな町の小さな古本屋で、わずか一シリングで手に入れた男、 時価 七十万円もする北村透谷の『楚囚之詩』を、 三十円均一本 のなかから探しだした一学生、…(「書物蒐集のわき道」『蒐書の心』,p.
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